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沖縄『ヘリオスビール』の歴史とは

泡盛の古酒やサトウキビを用いた酒造りで有名なヘリオス酒造では、20年ほど前に地ビール生産を開始しました。ビールは喉越しを楽しむもの!という価値観の時代から、ビールの奥深さを伝えたい一新で独自のビール造りに取り組み続けた松田社長の、20年に及ぶ奮闘の物語をご紹介します!

友清哲

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目次

  1. ○酒の世界の奥深さを伝える『ヘリオスビール』の挑戦
  2. ○当初は不評だったペールエール
  3. ○ゴーヤーの苦味をビールに活用
  4. ○20年の時間をかけて、ブームは定着した人気に
     
    • 酒の世界の奥深さを伝える『ヘリオスビール』の挑戦

      沖縄でクラフトビールを巡る旅。トリは、泡盛の古酒(こしゅ)『くら』や、沖縄産サトウキビを用いた『ヘリオスラム』などで知られるヘリオス酒造株式会社だ。
      名護市にあるヘリオス酒造本社は、要塞然とした趣ある佇まいで観光客の人気スポットに。酒造りの過程を詳しくガイドしてくれる

      名護市にあるヘリオス酒造本社は、要塞然とした趣ある佇まいで観光客の人気スポットに。酒造りの過程を詳しくガイドしてくれる

      同社がビールの生産を開始したのは1996年のことで、ちょうど20周年を迎えたばかり。僕が取材に訪れた際は、その記念イベントの準備が進められている最中だった。まずは『ヘリオスクラフトビール』の始まりから聞いてみた。
      「もともとうちは、酒税法改正前からビールの研究を進めていたんです。いくつかの清酒メーカーと一緒に、ドイツやベルギーを視察に訪れたこともありました。とくにドイツは、『ビールはその醸造所の煙突の見える範囲で飲め』と言われるくらい、各地域にたくさんのブルワリーが存在していますから、トータルで100箇所くらいまわったのではないでしょうか。どれも日本にはない個性的なビールばかりで興味深かったのですが、一箇所だけ、どうしても飲みきれないビールがあったのを思い出します。口に合わないなんてレベルではなく、まるでクサヤのように匂いがキツくて……。でも、その地域にはそれしかビールが存在しないわけですから、住民たちは皆、機嫌よく飲んでいる。ビールというのは本当に奥が深いものだなと痛感させられましたね」
      そう振り返ってくれたのは、ヘリオス酒造の松田亮(まつだ・りょう)社長だ。その語り口が、根っからの酒好きであることを感じさせる。
      実際、沖縄を代表する企業のトップでありながら、その人となりは経営者というより職人に近い印象で、解禁を受けてすぐにビール造りに本腰を入れたのも、なんだか妙に納得してしまう。
      「国税が管轄する酒造免許というのは、運転免許のようにそれを“許諾する”目的のものではなく、免許を持たない者にそれを“させない”ためのものであるのが実情です。当時、ビールは6000キロリットル以上でなければ造れない縛りが設けられていたわけですが、これはうちの規模ではとても手が出せないハードルでした。そこで当初は、ドイツの醸造所に生産を委託する計画を立てていたんです。向こうからビールを輸入して、『ヘリオスクラフトビール』のラベルを貼って売り出そう、と。日本でビール造りが解禁されたのは、いくつかの醸造所と具体的に話を詰めていた矢先のことでした」
      つまり、時の細川政権の英断がなければ、『ヘリオスクラフトビール』はドイツビールのOEMというかたちを採っていた可能性が高い。
      もっとも、実際には品質をいかに管理するか、リーファーコンテナ(温度を一定に保つ機能を備えたコンテナ)の調達、コスト面をどうクリアするかといった問題はあっただろうが、自社製ビールの実現に燃えていた当時の松田さんのこと、きっと解決策を導き出していたに違いない。そんなパラレルワールドを想像してみるのも、ちょっと面白い。
    • 当初は不評だったペールエール

      松田さんが『ヘリオスクラフトビール』の構想を持ち始めた頃、その背景ではオリオンビールが順調に売上げを伸ばしていた。まだ発泡酒の台頭もなく、特別措置による減税の恩恵もあり、地元民や観光客を相手にビールを売りまくっていたのだ。
      「ただ、オリオンビールが売れていたから自社でもやろう、ということではないんです。酒の奥深さを、もっと沖縄の人たちに伝えたい、その一心でした。きっかけとなったのは、私自身がペールエールに感銘を受けたことで、言うなれば“俺の知るこのビールをみんなにも飲ませたい”、そんな気持ちでしたね」
      そこで松田さんは、酒税法が改正された直後、完全無濾過(むろか)のペールエールを試作して、社員一同で味見を行なうことに。ところが……。
      「アメリカンタイプのビールなんて、沖縄ではまだ誰も飲んだことのない時代でしたから、ものすごいブーイングを喰らいましたよ(笑)。『社長、こんなもの売れませんよ』とか、『もうちょっと飲みやすいものはないんですか』といった声ばかりで、美味いと言ってるのは僕だけでした。そこで渋々、バイツェンとラガーも一緒に売ることにしたんです」
      これが『ヘリオスクラフトビール』の始まりとなる。ちなみにこの時に開発されたバイツェンが、今日も主力商品のひとつとなっている、『青い海と空のビール』の原型である。麦芽100%のフルーティーなこのドイツビールは、果たして、よく売れた。同時期に投入されたラガーも、タイプ的に従来のビールと相違なく、自然に受け入れられた。
      しかし、松田さん肝入りのペールエールだけが、なかなか市民権を得られずにいたという。

      「私の(注)模合(もあい)仲間にも、ビール通を自認する連中がたくさんいましたが、彼らがペールエールに興味を示すことはなく、ひたすらラガーだけを飲み続けるばかり。彼らの言うビール通というのは、どうやら量をたくさん飲む人のことであって、私の考えるそれとは意味合いがちょっと違うのだなと感じましたね(苦笑)」

      (注)模合……数人のグループで毎月お金を出し合い、それを順番に受け取る金銭相互扶助の習慣。

      いわば、それが当時のビール市場の現実でもあったのだろう。
      それでも、酒税法が改正されると多くの事業者が参入し、あたかもゴールドラッシュのごとく活気づいた日本のビール産業。次々にブルワリーが立ち上がり、あっという間に300社ほどにまで増加。クラフトビール市場は最初の黄金期を迎える。
      それがほどなく淘汰の時期を迎えることは、本書でもここまでたびたび触れてきた歴史であるが、これはひとえに「過大な期待に原因があった」と松田さんは分析する。
      「ビール市場が突然解放されたことで、様々な事業者が地域おこしなどを目的に地ビール開発に飛びつきましたが、もともと酒造をやっていた立場からすると、造ったビールを瓶詰めして売っても、そうそう利益を確保できるものではないんです。うちが96年まで2年ほど参入を保留していたのは、まさにそれが理由です」
      造れば売れるかもしれないが、採算ベースに乗せるためには、酒税との綿密な折り合いが必要となる。ブームに飛びついた多くの事業者には、そのノウハウが致命的に不足しており、それが淘汰に繋がっていく。
      「それでも、どうにか商売として成立させる方法はないかと考え続けた結果、パブを作って直売するしかないという結論に至ったんです」
      効率良くビールを売るために、その売り場から作ってしまおうというのは、なんともダイナミックな発想だが、言葉を変えれば、そこまでしてでも『ヘリオスクラフトビール』を実現したかったという心意気の表れでもある。現在も多くの観光客でにぎわう国際通りの『ヘリオスパブ』は、そんな松田さんの情熱の結晶なのだ。
      なお、『ヘリオスパブ』では当初、店内に醸造機能を置き、ブルーパブとして運営していたが、その後の生産量の増加に合わせ、現在は名護市の工場に醸造設備を移している。こちらは泡盛やラムなどすべての製品開発を一手に行なう大規模な施設で、一般客の工場見学も受け付けている。酒好きならば、、ぜひ一度は訪ねておくべきスポットと言えるだろう。
      記念すべき20周年の歴史を経た『ヘリオスビール』。県外の沖縄料理店で見かける機会も多い

      記念すべき20周年の歴史を経た『ヘリオスビール』。県外の沖縄料理店で見かける機会も多い

    • ゴーヤーの苦味をビールに活用

      ヘリオス酒造の創業は1961年。地場のサトウキビを原料に、ラムの製造から幕を開けている。その後、ハブ酒や黒糖酒、泡盛といった蒸留酒の製造に事業を広げていくが、醸造酒はビールが初めてのことだった。
      それでも、研究熱心で職人肌な松田さんは、ビールの試作を行なううちに、ほどなく“勘所”を掴む。
      「実際にやってみると、ブルーイングというのは料理に近いな、と感じました。麦芽の抽出温度によって、微妙に味が変化する。奥が深くて難しい分野であるのは間違いないですが、その匙加減の妙は、まるで卵料理のよう。腕のいい料理人なら、きっと美味しいビールが造れるのではないかと思いました」
      それは自ら手を動かし、試行錯誤すればこその所感だが、そんな姿勢が、現在の看板商品である『ゴーヤーDRY』という斬新な発想に繋がっていく。
      「ビールそのものはメソポタミア時代から造られていますが、ホップが使われるようになったのは比較的最近のことです。ホップ以前はハーブの類いが使われていたそうですから、ゴーヤーを使うのはさほど不自然ではないと考えたんです。発売当初は奇抜な組み合わせと面白がられましたが、苦味のある天然の素材と考えれば、ゴーヤーを使ってはいけない理由などひとつも見当たりません。地元の食材で酒を造ろうという先代からの方針もありますし、すぐに試作を始めました」
      果たして、ゴーヤーを使ったビールの開発には2年を要したといい、最初に出来上がった試作品は「緑色の濃い、罰ゲームのような味だった」と松田さんは笑いながら振り返る。
      「ホップとゴーヤーの違いは何かというと、ホップはハーブの一種ですから、飲んだ瞬間に苦味が来る。これに対してゴーヤーは野菜なので、飲んだ後に苦味が来る。つまり、両方を材料に使った『ゴーヤーDRY』は、ずっと苦味の余韻が残り続ける特徴があるんです」
      そうした苦味のリレーは、実際に味わってみると明確で、実に絶妙なところでバランスが保たれているのがわかる。
      ゴーヤーのイメージにさえ囚われ過ぎなければ、世のビール党とこれほど相性のいい組み合わせもないだろう。
      こちらは限定品の「ウイスキーバレルエイジエクスペリメンタル」。ウイスキー樽で寝かせた香り高いビールだ

      こちらは限定品の「ウイスキーバレルエイジエクスペリメンタル」。ウイスキー樽で寝かせた香り高いビールだ

    • 20年の時間をかけて、ブームは定着した人気に

      ともあれ、そんな創意工夫を重ねながら、同社はクラフトビールの世界を20年にわたってサバイブしてきた。松田さんの目には、再び訪れた昨今のクラフトビールブームは、どのように映っているのだろうか?
      「ブームというよりも、だいぶ定着してきた印象を受けますね。むしろ、ここに至るまでに20年かかったことが不思議です。解禁前に、アメリカのコロラド州にあるビール工場に滞在していたことがあるのですが、当時はアメリカもクアーズやバドワイザーといった、日本のビール以上に水っぽいものが好まれる市場でありながら、クラフトビールがぐんぐん伸びている最中でした。これはきっと、数年遅れで同じ現象が日本でも起こるはずだと思っていたけど、解禁後も決してそうはならなかった。原因はいくつか考えられますが、門外漢の事業者が造るビールに、コンタミ(実験汚染。原料以外の異物の混入)が多く、消費者を満足させる品質に到達しなかったことが大きいでしょうね」
      それが現在は、クラフトビールの美味しさや醍醐味は、しっかりとファンに伝わったはずだと松田さんは言う。
      「言ってみれば、クラフトビールはマイナスからのスタートで、それがゼロに戻り、そして今、プラスに転じている状況です。20年かかりましたが、現在の人気は当面、このまま続くのではないでしょうか」
      そのポジティブな言葉を、1人のクラフトビール愛好家として何よりも心強く思うばかりだ。
日本クラフトビール紀行

日本クラフトビール紀行

友清哲

イースト・プレス

日本の南国でも活気づく琉球発クラフトビールの胎動より

今日のビールは今日だけの味!最高の一杯を求めて西へ、東へ… クラフトビールブームと言われる昨今、数多の種類が出回るようになりました。ヨーロッパ産の伝統的なものから、日本の酒造メーカーが作ったもの、地域活性化のために作られた変り種などなど……。本書は特に「日本のクラフトビール(手作りの地ビール)」にこだわって全国各地のブリュワリーを訪ね歩いた記録です。北は北海道から南は沖縄まで、各地で出会った手作りビールとその誕生秘話を知ることは、「私の逸品」を見つけるヒントになるのではないでしょうか。

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