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倉橋惣三物語 上皇さまの教育係
“日本のフレーベル”、“近代幼児教育の父”と呼ばれる倉橋惣三は、大正期から昭和にかけて活躍した教育者。上皇陛下が皇太子でいらした幼少期に、教育係を務めた人物の、遺された日記をはじめとする貴重な資料をもとに描く、感動の物語。
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目次
- 進行『倉橋惣三物語 上皇さまの教育係』をお書きになりました、倉橋耀子さんと麻生さんにお話を伺っていきます。
よろしくお願いします。
今回お二人でお書きになられたんですよね?はい倉橋耀子さん進行倉橋耀子さん、倉橋惣三さん、同じ苗字ですけれども、どうしてこちらの本を書こうと?私の夫のおじいちゃんになる方で、幼児教育をやってらしたのは知ってたんですけど、、保育関係者の方から「倉橋惣三さんは保育業界では神さまみたいな存在ですよ。それは書き残すべきですよ。」って言われたことがきっかけです。
(麻生さんと)一緒に調べ始めたんですけど、元々調べ物とかそれを論理的に組み立てていくっていうのが(私が)ちょっと苦手だったんです。倉橋耀子さん進行そうなんですね!(驚)人間性を作った上で、ワッと書くっていうのが自分のスタイルだったものですから、コツコツと資料を集めて、それを構築してしていく作業が苦手だったので、最初から私1人では無理かもしれないと思って…倉橋耀子さん進行麻生さんなら大丈夫!って思ったわけですね!⇒気になる続きは動画から
倉橋惣三物語 上皇さまの教育係
子供は自ら育つ――自発性を大切にし、子供たちの中に眠る可能性を信じた倉橋惣三の教育が、 今の時代にこそ求められている。
“日本のフレーベル”、“近代幼児教育の父”と呼ばれる倉橋惣三は、大正期から昭和にかけて活躍した教育者。 昭和3年からは昭和天皇、皇后陛下へのご進講が始まり、上皇陛下が皇太子でいらした幼少期に、教育係を務めた人物である。
少年時代、運動が苦手で不器用なうえ、引っ込み思案だった惣三の心を開いてくれた、下町の子供たち。 導いてくれた恩師や、夢を語り合った生涯の友。さまざまな出会いが、惣三という人間を作っていく。 学生時代から幼児教育に興味を持ち、やがて教育者となった惣三は、激動の時代にあっても、変わらず「子供の友達」であろうとした。幼児教育の改革を次々行っていく一方で、息子との関係に悩む一人の親でもあった。 遺された日記をはじめとする貴重な資料をもとに描く、感動の物語。