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「無理なく」「やたら人と張り合うことなく」幸せに生きていく方法とは
人生せいいっぱい生きているだけで十分に何かと戦って生きていると思います。ですが、戦い戦いといって、ぎすぎすした見方、考え方をするのはどうでしょうか。そんな戦いから少し遠ざかりたい人のために、無理することなく、やたら人と張り合うことなく、幸せに生きていく方法をご紹介します。す。
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目次
- ○まず守りからしっかりさせる
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まず守りからしっかりさせる
人生を戦いにたとえる人も多いようです。確かにそういう面はあるでしょう。この世の動物、植物など生きとし生けるものは、自分の存在意義のために、けなげに他者と戦いながら、あるいは協力して守り合いながら何とか生きているのです。可憐に咲く花を美しいとは思いますが、そこには厳しい生存競争の中で、何とか花をつけてがんばっているのです。わたしたちも、何億という精子の中から勝ち抜いて、卵子と見事に結びついて生まれてきているのですから、生存競争の中で、勝ち抜いてきた選ばれしものでもあるのです。ですが、戦い戦いといって、ぎすぎすした見方、考え方をするのはどうでしょうか。わたしたちがせいいっぱい生きているだけで、十分に戦っているわけですから、それ以上に戦うことを奨励するのはどうでしょうか。世の中には軍事オタクのような人もいて、孫子やクラウゼヴィッツのように兵法が大好きな人もいます。ただ、わたしたちは軍事オタクになる必要もありませんが、その教えの中には参考になるものも多くあるのも事実です。そして、無理することなく、やたら人と張り合うことなく、幸せに生きていく方法があります。それは、まず自分を守るということです。兵力が小さい場合や、他者を積極的に負かしてやろうなどとは思わない場合でも、相手や第三者などが、勝手に敵とみなして攻めてくることは十分あります。戦いは嫌だといっても、おとなしくしているとかえって狙われやすいのです。そこで孫子などが教えるのは、守りを固めておくことです。わたしは、これこそがわたし肯定力を強く持つことだろうと思っています。わたし肯定力をしっかりと固めている人に、他者は、攻撃して攻め取ることは無理だと思います。せめて共存できるように、何とかしようとします。わたし肯定力がある人は、自分やまわりにさえ侵害しなければ、悪いことを仕掛けないという条件のもとに共存は認められるのです。最低限、わたし肯定力を守ることはしなければなりません。万が一、他者が、こちらのわたし肯定力までも侵そうとするときは、きちんと守りの行動はしなくてはなりません。昔のイェーリングという偉い学者は、『権利のための闘争』という本を出しました。権利というものは、ただじっとそうあってほしいと願うだけでは失われることになるというものです。わたしたちは、闘争と呼ぶ必要はありませんが、最低限守るためのことはしなくてはなりません。今は、そのために法律も定められていて、役所というものもあります。一番力となるのはまわりの人たちでしょう。一番の守りは、わたし肯定力と自分のまわりの人たちとのいい関係を保つことです。いい関係を保つためにも、わたし肯定力の充実と、まわりの人のわたし肯定力の尊重とケアが大切なことになります。
君に逢いたくなったら……
その日までガンバル自分でいたい。
坂井泉水(ZARD)
シンガーソングライター