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母親と父親の教育方針が分かれたときの対処法

「お父さんはこう教えられたから」「お母さんもこんなふうにして育ったから」と、子育てに自分の経験を取り入れる親は少なくないですよね。また、子育ては、各家庭によってさまざまであり、どのような方法が正しいのかはなかなか見えてこないものです。そこで下田美咲さんの「そうだ、結婚しよう。」より母親と父親の教育方針が分かれたときの対処法をご紹介します。

下田美咲

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目次

  1. ○その子の望む生き方によって子育ては変わる
  2. ○親が見つけた「正解」は子どもにとっての「正解」ではない
  3. ○どうにもならない子ども時代を作りたくはない
  4. ○母親と父親の教育方針が分かれたときは
     
    • その子の望む生き方によって子育ては変わる

      私(下田 美咲)が「いつか子どもを産みたい」と思うようになったのは高校生のときで、その頃から「こういう人間にさえなれば、人生は絶対にうまくいく! どんな職業でも上にいけるし、どんな未来を望んでも手に入る! 誰とでも結婚できる!」という型のようなものが存在するならば、自分の子どもはそういうふうに育ててあげたいから、どうにか妊娠する前にその答えを突き止めておきたい! と考えるようになり、自分なりに研究を始めて、かれこれ今年で10年目になるのだけれど、その結果として現在の私は「人間には正解がない」という結論に至っている。
      どんな女になるべきかは、自分がどんな男が好きか、そしてどんな男から好かれたいかによる。男の数だけ「理想の女像」はある。どんな能力を養うべきかは、自分がどんな職業に就きたいかや、どんな人生を送りたいかによる。どんな性格特性もそれ自体に良し悪しはなくて、どこに身を置くかで評価は変わる。ドンピシャで適材適所にハマれば、口下手が長所になることもあるし、逆に口が上手いことがマイナスになることもある。
      また、何を幸せと感じるかにも個人差がありすぎる。だから、こんな人生を送れたら大当たりと言い切れる雛型もない。どうなれたら幸せなのかは、人による。
      人間性に正解がなく、人生に当たりがない以上、子育てにも「こうしておけば間違いない」という一つの答えなどない。何もかもが、その子がどう生きたい人なのかによる。
      どんな仕事に就きたいのか、どんな恋をしたいのか、どんな身体になりたいのか、どこで誰とどんなふうに暮らす人生にたどり着きたいのか。そういう本人の「趣味」次第で、どんな指導をするべきかは変わってくるけれど、その趣味というのは産んですぐにわかるものでもなければ、おそらく、生まれた本人でさえなかなかわからないものだと思う。
      私自身、自分がどんな男と結婚したい女なのかをハッキリと自覚できたのは昨年のことだし、どんなふうに働きたいタイプなのか、どんなふうに暮らしていくことを幸せと感じるのか、そういうことを自己紹介できるようになったのは、つい最近だ。自分がどんなふうに生きていきたい人間なのか、趣味の傾向をガッチリと摑むのには、27年かかった。きっと人生とはそういうものだ。
    • 親が見つけた「正解」は子どもにとっての「正解」ではない

      そんな私が子育てについて考えるときに、親として気をつけなきゃいけないなと思うのは、世の中や人生について教えるときに「これが正解なのよ!」と決めてつけて言い渡すようなことがないようにしなくては、ということ。
      人間とは、恋愛とは、幸せとは、いろんなテーマにおいて、27年かけて見つけてきた答えは確かにある。この世の中を生き抜くにあたっての「こうすればうまくいく」というセオリーも、だいぶ見つけた。
      でもそれらは、あくまで私の考えであり「私の答え」だ。私という素材ありきで適用される、私専用のルールで、たとえば顔が変われば、体質が変われば、能力が変われば、全然違ってくることがたくさんある。
      これはすべての親に言えることで、親が見つけた「正解」を、この世の正解として仕込むのは危険だ。どれもあくまで「自分の考え」であって、あたかも「世間の正解」みたいに語るべきではない。
      そもそも正解のベースにあるものは「私はこんなふうに生きたい」「こんなふうに暮らせると幸せ」という「個人の趣味」なのだから、それをそのまま「人生ってこういうものなの」「世の中ってこうなのよ」「だからこうするべきなの」と子どもに教育するのは、あまりにも親のエゴだ。子どもには子どもの趣味がある。
      では、どう育てるつもりなのかといえば、いざ趣味が見つかったときにスムーズにその道に進めるように、なるべく偏らないように、浮世離れしないように、いろんなことを教えてあげておきたいなと考えている。「正解」として押し付けてしまうことがないように注意しながら、あくまで情報やデータとして「普通」や「平均」についてインストールしておいてあげたい。
      もしも生まれた子どもが「もっと自分のパフォーマンスを最大限に発揮して生きていきたいんだ!」と言い出したら、そういう食事を用意するけれど、そうでないうちは、普通の食事を与える。普通を知ることは多くの人との共通言語を養うことで、ハンバーグや唐揚げやフライドポテトの美味しさは、身につけておいて損はない知識だ。
      どんなふうに学校に通うべきか、どんな勉強をするべきか、そういう一つ一つが、どんな人生を送りたいかによる。本人の趣味がハッキリしていないうちは、どの道にでも進めるような暮らし方をサポートしたい。
      それが私の教育方針の軸で、これに関しては夫にも強めに言っている。あなたの正解を「これが正解だ!」みたいに教育するのはやめてよね、と。そんなのはとんでもない親のエゴだよ、と。
    • どうにもならない子ども時代を作りたくはない

      そもそも私は彼のことを、人として成功例だと思っていない。うまく育った人間だというふうに認定していない。私は好きだけれど「世間一般に広く通用する良質な人間だ」「出来がいい」というふうには思っていなくて「私のごく個人的な好みに合っている」「私の凹に適合した凸を持っている人だ」「私にはちょうどいい! 大好き!」と思っている。
      だから自分の産む子どもについて「彼のような人に育ってほしい」とは思わないから、彼に「俺はこういうふうに育てられた」と言われても「むしろ、だからこそダメだよ、その育て方じゃ。こうなっちゃうんだから。だってそこの部分に関して、あなた優れてないじゃん」となるし「俺はこう思うし、こう育てるべきだと思う」と言われても「その価値観の先で、あなたが摑めたものって何なの?」となるので、まったく賛成できない。
      先日、夫と教育方針の話題になった。「美咲ちゃんは子どもがほしがるものを何でも買い与えそうだ」と言われたので「いや、そこは、ポイント制にしようかなと思っている」という話をした。
      子どもは働くという選択肢を持っていないから、どんなにやる気があってもお金を稼ぐことができない。ほしいものがあっても自力ではなす術がない。どうしようもない。そういう境遇にある。
      「子どもってそういうもんだよね」と多くの子どもは諦めているし、大人も当然のように諦めさせているけれど、私は子どものときからそれが不満だったし、大人になった今もおかしなことだと感じる。
      だから私は、親として子どもに「なす術」を与えたい。自分次第で手に入れる方法もある、という仕組みを用意してあげたい。
      本当は無条件に買ってあげたい気持ちで山々だけれど、ほしがれば何でも無限に買ってもらえるとなると、どうせ買ってもらえるから余分にほしがる、というふうになってしまいそうな気がする。そうなると「自分のお金だったら買うほどじゃないけど」という本当は要らないガラクタまでほしがる手クセのようなものが付いてしまいそうで、それは良くない。だから何か、ちょっとしたハードルを作りたい。
      ここで重要なポイントになるのは、その子にとってそれが、もし今の自分にお金を手に入れる手段(稼ぐ方法)があったとして、自分のお金を減らしてでも手に入れたいほどのものなのか、というところだ。「買う価値」を見出しているのか。
      だから「これを頑張ったら買ってあげるよ!」みたいな、何らかのポイント制にして「手に入れようと思えば手に入れられるけど無条件ではない」という1クッションあるやり方にしたいな、と思う。
      「次の誕生日まで待つしかない」「クリスマスにしか手に入れるチャンスがない」みたいな、今やれることが何もない感じじゃなくて、努力すれば手に入れられる環境を、親として与えたい。
      この支配だらけで当然とされがちな子ども時代だけれど、私はそれはどうかと思うので、親として、子ども時代もなるべくなす術のある日々を送れるようにしてあげたい。
    • 母親と父親の教育方針が分かれたときは

      そんな話をしていた延長線上で、お年玉の話題になった。彼が「お年玉は? 預かって貯金しておいて、大人になったら渡してあげるの?」と訊いてきた。
      私「いや、ありえないでしょ。お年玉はその場でその子のものにするよ」
      彼「貯めといてあげないの?」
      私「小学生のときの1万円と、大人になってからの1万円じゃ、価値が違いすぎるもん。1万円から得られる幸せが大きいのは、大人になってからよりも圧倒的に子ども時代だよ」
      彼「まあ、たしかに」
      私「お年玉は子どものときに渡してもらった方が嬉しい。大人になったら、お年玉くらいの金額を手に入れたところで夢が叶ったりしないけど、子どもだと夢が叶ったりもする金額だし、そのお金に対して一番たくさん喜べる時期にあげるべきだと思う」
      彼「でも、俺の親は貯めてくれてたから、18歳になって一人暮らしするときにまとまったお金があって助かったよ」
      私「 一人暮らしする資金なんてそもそも親がサポートするべきな気がするし、いつかのために小さい頃のお年玉を取り上げるのはどうかと思う。本人がお金と向き合うチャンスも奪ってる。それに、一人暮らしするような年齢になったらバイトもできるわけだし、自分次第で稼ぐことができるけど、子どもにはお年玉くらいしか収入源がない。大人になったときのために貯めとく意味がわからない。子ども時代のお年玉を取り上げるのは私的にはありえない」
      彼「えー……?」
      私「今、ナオくんがお金持ちになれているなら、また話は別だけど。ナオくんはお金の管理ができない大人になっているし、お金へのスタンスに関してはダメなところしかないから、ナオくんが受けたお金に関する教育が良かったとは思えない」教育方針について夫婦で意見が割れたときは、その分野で成功している方の意見が優勢だし、優先させるべきだ(よってわが家の場合、お金がテーマなら私に軍配があがる)。
      現状とくに高収入でもなく、貯金をするのも下手くそな彼が「俺が親から受けたお金の教育」など失敗例の一つとしてしか参考にならない。
      「お父さんも子どものときこうだったから」などと、自分が受けた教育を何となくで使い回す親は多いけれど、とんでもないことだ。
      子育てをする中で「そういうときに、お母さんはこういうふうに考えて、こういう選択をしてきたよ」という説明をすることはあるだろうし、夫にも「お父さんはそういうときにね」と語ってもらって構わないのだけど、あくまでそれらは一つのエピソードだ。
      私たちの送ってきた人生は、誰にとっても「大当たり!」なわけではないし、私たちの持ってる答えはどれも、どこでも通用する「正解」ではない。その子にとっての「幸せの形」は親でも見当がつかない。
      どんな質問にも答えるし、親として、そしてあなたより27年多く人生をやってきた者として、教える機会もあるのだろうけれど、いつだってこの大前提があることを、私は伝え続けると思う。
      生まれてくる子がどんな人生を送りたい人なのか、その趣味がハッキリする日はまだまだだいぶ先のことになるだろうけれど、それを一番大切にして成長をサポートしたいと思っている。

そうだ、結婚しよう。

下田美咲

毎日新聞出版

part3 非常識が新しい家族を幸せにする!より

気鋭の恋愛コラムニストが予想外だった自らの結婚、妊娠を通してつづる幸せな結婚を呼ぶ非常識の哲学。cakesで大人気連載中「下田美咲の口説き方」の書籍化!アラサー未婚女子に放つ、痛快エッセイ。

    楽天ブックス オムニ7

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