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カウボーイの町の仏教寺院「カムエラ本願寺」の魅力
ワイメアの中心にあたる交差点から19号を東に進むとすぐに、道路左手に少し引っ込んでカムエラ本願寺があります。本堂を正面から見ると、日本の仏教寺院というよりもどこかインド風であり、キリスト教会の雰囲気もあわせ持つ外観です。この記事ではカムエラ本願寺の歴史や、特有の外観などをご紹介します。
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目次
- カウボーイの町の仏教寺院「カムエラ本願寺」の魅力
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【宗派】浄土真宗本願寺派
【住所】65-1110 Mamalahoa Hwy, Waimea(Kamuela), HI 96743
(DMS)20° 01’ 30.9” N 155° 39’ 51.4” W
【開教使(兼務)】ブルース・ナカムラ(仲村)先生
【設立】1969 年 【現在の建物】1954 年建設 【メンバー数】95人
ワイメアの中心にあたる交差点から19号を東に進むとすぐに、道路左手に少し引っ込んでカムエラ本願寺はある。他寺の例に倣ならえば、ワイメアにあるのだからワイメア本願寺と称するはずだが、この寺は「カムエラ」本願寺である。ワイメアという地名はハワイ州各地にあるため、区別をするために郵便局はこの地を「カムエラ」とした。そんなわけで、本願寺も郵便局の名前と同様にカムエラ本願寺となったわけである。本堂前の屋外に、牛若丸のような服装をした子どもの像が建っている。銘板には「MATSUWAKAMARU」とあり、親鸞聖人9歳時の像である。「子ども時代の聖人の像は大変珍しい」と、ブルース・ヨシハル・ナカムラ(仲村)先生。ラフなシャツにスラックス姿の先生を、最初はお坊様だと判断できなかった。「輪わげさ袈裟は花祭りや降ごうたんえ誕会、報恩講等のときに身につけ、それ以外は黒の法衣。普段はリラックスした服装」だという。日本のお坊様と当然変わらないわけだ。ミドルネームのヨシハルは「吉春」と書き、祖母・ウサさんがつけてくれた名前だ。19世紀末に沖縄読谷村から1人で渡ってきたウサさんは、紆余曲折の後に同じく沖縄出身の仲村さんと結婚してヒロに住んだ。ヒロ周辺は沖縄からの移民が多い。ハワイ島の9 割の開教使は日本から派遣されてくるそうだが、ナカムラ先生はヒロに生まれ育った。ときおり日本語の単語が出るが、会話はほぼ英語である。お顔はまったくの日本人だが、アメリカ人なのだ。ナカムラ先生は、カムエラのほかにコハラ、ホノカア、パアウイロの各本願寺も兼任している。合わせて200人のメンバー(信徒)になる。日曜日毎に各寺を回るという多忙さなのに、「ありがたいことです」と言う。また先生は、「日系の集会は非常に大事」とも言う。メンバーたちは集会を開いて寺のボランティア活動を相談したり、自分たち日系人の親交をはかったりしているのだそうだ。この寺の歴史は、ワイメア地域の人々がハマクア地区にあるホノカア本願寺のメンバーとなった1920年頃に始まる。『ハワイ日本人移民史』によると、翌年には、「ホノカア本願寺カムエラ仏教婦人会」が発足している。コハラ地区54婦人会は、ワイメアの現スーパーKTA 辺りにあったサカモト・ストアで会合を開いていたという。1930年に信徒が日本から大きな仏壇を持ち帰り、かつて学校として使われていた古い小さな建物に安置した。それまで個人宅や商店で行なわれていた寺院のサービスは、この建物を寺院として行なってきたようだ。第2次大戦後、仏壇を安置していた建物の老朽化が進み、ワイメア地域のメンバーたちは現在の地に「ワイメア本願寺」を建設した。それが現在の建物であるが、ハワイ本派本願寺教団発行の冊子(1954年発行の沿革誌、1962年発行の団員名簿)には、この寺に関する記述がない。公式には、1969年になって「カムエラ本願寺」と改名した年を設立年としている。つまり設立は新しいが、メンバーの活動の歴史は古い寺だと言える。現在のメンバー数は95人。本堂を正面から見ると、日本の仏教寺院というよりも、どこかインド風であり、キリスト教会の雰囲気もあわせ持つ外観である。島内で多く見かけるインド西洋風の建て方だ。島内ほとんどの寺院の本堂は、日本の寺院と同じく高床式になっているが、階下がソーシャル・ホールになっている点が日本とは違う。しかしカムエラ本願寺は、高床になっていない。ソーシャル・ホールは本堂の下ではなく、別棟になる。本堂の内陣中央にある仏壇は、1962年に日本から購入したものである。前まえじょく卓はもともとヒロ別院にあったものらしい。仏壇の左右には、親鸞聖人と蓮れんにょ如上人がまつられている。外陣前方の壁には、西本願寺現門主・大谷光淳師の「自信教人信」額が掲げられている。これらの様式は本願寺特有である。日本からの初期の移民は、サトウキビ・プランテーションで働く場合がほとんどであったため、寺院はプランテーション耕地の多いエリアに建てられた。ところが、この寺があるワイメアにはサトウキビ・プランテーションはない。これは珍しいことだが、プランテーション労働者はいなかったけれど、牧場労働に従事する日本人がいたわけである。比較的雨の多い地域なので、サトウキビ栽培よりも牧場経営に向いていたのだろう。ワイメアには有名なパーカー牧場があるし、コハラ山地を通り抜ける道を走れば両脇には延々と放牧場が続くエリアなのだ。カウボーイの町として繁栄したこの町は、桜祭りも有名である。2月の第1土曜に開催される恒例の「Waimea Cherry Blossom Heritage Festival」だ。桜の木は『ハワイ(布哇)報知』(ハワイの邦字新聞)を41年間にわたって発行した牧野金三郎(フレドリック)氏を記念して1953年に植えられた。彼は米国民主主義に基づいて、ハワイ日系人の権利と自由を追求した人物である。彼によって勇気づけられた日系人は多い。桜が植樹された1953年は、彼が亡くなった年にあたる。1975年には、ワイメアに定住した日本人移民100周年を記念してさらに50本が植えられている。カムエラ本願寺は、着物・桜の工芸品等のグッズ・食品販売、ブルース・ナカムラ先生による浄土真宗のお話、日本の伝統的な折り紙・盆栽・合気道・餅づくり等の活動で桜祭りに参加をしている。
これは、寺が地域とのつながりを強めるための大事な活動になっている。
アロハの島で寺めぐり マウカマカイの細道 ハワイ島編
本書は単なるガイドブックを超えた、読者に新鮮な満足を贈る知的ガイドブックである。家の中でひと味違うハワイ旅を楽しみたい人にも、コロナ後にハワイへ行こうと考える人にも、大いに役立つ本になるだろう。ハワイ島には30を超す仏教寺院が現存する。これは、明治時代初期から始まった移民が関係している。著者は8年にわたって島内の寺院と日系人を訪れ、聞き取りと調査を重ねた。浮かび上がったのは、日系移民の苦難と向上心、彼らが築いた寺院の役割と歴史、日系アメリカンの意識と寺院が抱える今日的課題等であった。