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難しい仕事を依頼された時の対応方法
自分の手には負えそうにない難しそうな仕事を課された時、あなたはどうしますか?迷惑をかけるわけにはいかないので、早々に上司に断りを入れるのでしょうか。それも必ずしも間違いではないかもしれませんが、それではあなたの成長のチャンスを逃しているかもしれません。自分の限界を決めず、チャレンジすると自分でも意外な能力に出会えるかもしれません。
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目次
- ○できないと思うことも、案外できる
- ○信じて頼まれたなら、やってみる
- ○できることをやっていては、成長しない
- ○まず、挑戦してみる
- ○「断らない」が人生で後悔しない方法
- ○「やってみる」ことは人生の大きな勉強になる
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できないと思うことも、案外できる
上司から指示が出る。その指示を見ると、かなり複雑で難しい。自分にはムリだ、できないと思うことがあるかもしれません。そんなとき、上司のところに行って、「すみません。この仕事、私には難しいです。できそうもありませんので、お引き受けすることはできません」。そういう人がいます。頼まれた仕事が、今まで取り組んだこともない上にレベルも高いものであれば、自分ではとてもできないと思うのは当たり前かもしれません。そのまま引き受けて、結局できなかったとなれば、上司に迷惑をかける。できないことはできないと言っておくべきだという、その考えは、ある意味当然だと思います。しかし、取り組んでみる前から「できない」。やってみる前から「ムリだ」と言うことが、あなたの成長にとっていいのかどうかです。やってみもしないで「できない」という結論を出すようでは、いつまでたっても自分の能力を伸ばし、高めることは不可能ではないかと思います。いつも自分で考えて、できる範囲でできることをやっていると、自分でも気づかない潜在能力を引き出すことができないのではないかということです。人は誰でも「自分は自分の能力を知っている」「限界を知っている」と思いがちです。しかし、必ずしもそうとは言えません。自分では気がついていない、持っていないと思い込んでいる能力を持っていた例を、経験上たくさん知っています。実際に、それに取り組んでみないとわからないということもあります。思い込みで、できないと考えていることを一度やってみる。すると案外、できてしまったということが、よくあるのです。皆さんご存じの、織田信長の「桶狭間の合戦」。まさに、やってみなければわからない。やってみたら、できないことができてしまった好例でしょう。永禄3年(1560年)5月、今川義元はみずから3万とも4万ともいわれる大軍を率いて駿府を発ち、尾張を目指して進む。それを迎え撃つ織田勢は今川軍の10分の1の4000。多勢に無勢。さあ、どうするか。清州城で、侃々諤々の議論。籠城するか、出撃するか、いずれにしても勝てる見込みはほとんどありません。結論が出ないまま、最後に信長が「撃って出る! 出陣じゃ!」ということで一気に城を駆け出ます。視野を妨げるほどの豪雨の中、織田勢は桶狭間で休息している今川義元に奇襲をかけ、ついに義元の首を討ち取り、合戦に勝利しました。これによって織田信長の天下取りが始まるわけですが、このとき信長が、これほどの戦力の差があるならば勝ち目はないと早々に城を明け渡していたら、桶狭間の合戦はなかったでしょうし、その後の織田信長もなかったと思います。しかし、通常では勝てない状況だけれども挑戦してみた。結果、完勝ということになったのです。要は、信長の「勝てないと思うのではなく、やってみよう」という、その考え方、挑戦の勝利だと言えるでしょう。 -
信じて頼まれたなら、やってみる
以前、ある社長が地方に支店を出そうと決めて、「さて、誰を支店長にしようか」と思案していると、ふと入社2年目の20歳を過ぎたばかりの若い社員の顔が浮かんだ。「彼は、まあ、新人と言えば新人だが、多少能力もありそうだ。なにより熱意がある。よし、彼に支店長をやらせよう。自分の見るところ今はともかく、そのポストに就かせれば彼は大いに成長するだろう」そこで、彼を呼んで、支店長を担当するように指示しました。当然、本人はびっくり。平社員の、しかも新人同然です。支店長といえども、やはり経営をしなければなりません。そう思うから、社長に「とても、私のようなものには、そのような大役を果たす能力はありません。また、会社にご迷惑をおかけすることになれば社長に申し訳もありませんので、辞退をさせてください」と言います。彼の話を聞き終わると社長は、「キミが、そう言うのももっともだ。心配するのも当たり前だ。しかしキミ、できるかできないかは、やってみなければわからないだろう。キミはできないというが、私はできると思う。まあ、一度チャレンジしてみないか。それで失敗した、うまくいかなかったということであれば、そのときの責任は私がとろう。心配するな。キミならできる」と言います。社長にそこまで言われれば、引き受けざるを得ません。とにかく一人でその地方に行って支店を立ち上げることにします。やがて1年が経ち、社長がその支店を訪ねると立派に経営をしている。社員も10人になっている。社長がその成果を讃えると、その若い社員は深々と社長に頭を下げて、「このような立場を与えていただいたことに、心からお礼申し上げます。私でもこうした結果を出すことができることを知り、驚きとともに改めて社長に感謝します」と言ったという話がありました。まさに、やってみなければわからない。できないと思ったことがやってみたらできたのです。その若い社員は、自分の思ってもみなかった能力に誇りを持ったことでしょう。 -
できることをやっていては、成長しない
スポーツ選手でも同じです。ある選手が、監督から、あるいはコーチから、「100メートルを9秒台で走れ」と言われて、「いや、それはムリです。今、私は10秒後半がやっとです。9秒台など、いくら練習しても走れません。自分の限界は私が一番わかっています」と答えました。監督が言います。「お前は、なぜ自分で限界だと決めつけるのか。10秒台でしか走れない。それは思い込みだ。オレはお前が9秒台で走れると確信している。一度、挑戦してみようじゃないか。やってみてできなければお前も心から納得するし、オレも納得することができる。万に一つでも可能性があるならやってみようじゃないか」そう言われたら、どうせ練習するのだから9秒台を目指してみよう、ということになる。そして必死で練習を繰り返しました。結局は9秒台のタイムは出せなかったけれど、限りなく10秒に近いタイムでコンスタントに走れるようになりました。そして、オリンピックや世界陸上の代表選手に選ばれるようになったのです。自分ができることをやっていっては成長しないのです。まさに現状に甘んじる生き方、働き方では、「仕事の達人」にも「人生の達人」にもなることはできないのです。 -
まず、挑戦してみる
もう一つ、これはもう80年ほど前の話になりますが、町工場の社長が、ある電気製品を「市場の価格の半分の値段で、しかも品質を落とさずつくってくれ」と若い技術主任に指示しました。無茶な話です。当然、職人肌の技術者は、即断ります。「そんなことは、ムリです。絶対にできません。私はプロです。できるかできないか、やってみなくともわかります」すると社長は、「キミができないというのならできないのだろう。しかし、私は日頃からキミを見ていると、この私の指示を、キミなら必ず実現できる。キミならできると確信しているんだ」と切り返しました。そう言われると、まあ結果はわかっていても、社長が言うのだから、取り組んでみようか、ということで取り組みます。結果、3か月後、見事に市場価格の2分の1の価格、しかも市場に出回っている他社の商品よりも性能が高い製品をつくり上げることに成功しました。後年、その技術者が、「わからないものですね。私は経験的にできないと思った。しかし社長ができる。お前ならできると言われ、とにかく取り組んでみました。そうしたら、3か月後にはできたんです。社長は、大変喜んでくれましたが、なにより私自身が驚きましたね。『えっ? できたの?』という思いでした。本当に自分の思い込みで、自分のちょっとした経験だけで、やる前からできない、不可能だなどと言うもんじゃありませんね。しみじみそのとき思いました。それからは私は、やる前にできない、難しい、不可能だと言わないことにしました」と笑顔で話をしてくれたことを覚えています。 -
「断らない」が人生で後悔しない方法
会社で、社会で、人生で、自分の成長を願うならば、いかなる指示も「できない」と言って断らないこと。わかりましたと引き受けて、挑戦してみる。取り組んでみる。そのことによって自己を成長させ、人生の幸運の扉をこじ開けることができるのです。「人生、やってみなければ、できるかどうかわからない」ということです。それで失敗したら、どうするか。いいではないですか。「挑戦こそ、人生」「失敗は、次の成功の出発点」です。挑戦し続ける人こそ「仕事の達人」、いや「人生の達人」と言えると思います。それでも、いやいやもし結果を出せなかったら、失敗したらカッコも悪いし、多くの人たちに迷惑をかけるから、やはりできないと思うことはできないと、はっきり断ることが大事だという人がいるとすれば、それはそれでその人の人生ですから、とやかく言うつもりはありません。しかし経験から言えば、そのような思考停止では、人生や仕事が充実せず、満足感が得られないばかりか、やがて時が過ぎるにつれて後悔の思いが心の中で渦巻いてくると思います。あのときやってみればよかった。あのとき断ったため、ほかの人が引き受けて取り組んだ。できるはずもないと思っていたのに見事成功した。周囲からは賞賛されるし、会社からは高い評価。今、彼は部長。オレはまだ主任。あのとき引き受けてチャレンジしておけばよかった、と思うばかりになるでしょう。もちろん、部長が偉くて、主任が偉くない、などと言っているのではありません。部長でも主任でも、その役割をしっかりと演じ切っているかどうかが重要なのですから。部長と主任に「役割の差」があるわけもなく、対等であることは当然ですが、しかしやはり、その守備範囲、役割範囲に大小はあります。その役割の大きさの差に、後悔することになるのです。 -
「やってみる」ことは人生の大きな勉強になる
上司からの指示は、どのような指示も断ってはいけません。引き受けて挑戦してみることです。みずから自分の限界を決める必要はありません。できるかできないかは、自分でもわからないものです。上司からの公序良俗に反しない、仕事上の指示は、すべて引き受ける。あなたにとって大事なことです。成功しても失敗しても、これからの長い人生にとって、とてつもなく大きな勉強となるでしょう。「『まかせたぞ』 できない上司の 逃げ言葉」というサラリーマン川柳がありますが、こういう上司を持ったことは、あなたにとって最高の幸せ。心の中で「ラッキー」と叫ぶべきでしょう。まかせてくれる仕事を全部丸ごと引き受けて取り組み続けていけば、あっという間に、あなたが部長になり、今までの上司は相変わらずの課長ということも、今の時代はあり得ます。「『まかせたぞ』 逃げる上司に 感謝する」部下になれば、「仕事の達人」の道を着実に歩き始められます。繰り返しますが、指示された仕事は公序良俗に反しない指示なら、断ってはなりません。自分の能力を引き出す絶好の機会ととらえ、すべて引き受けることを心掛けてほしいと思います。「やらずに後悔するより、やって後悔する人生が価値ある人生」ということを心にとどめておいてください。