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立花高校(福岡県)から学ぶ不登校対策への取り組みとは
1970年代後半から、全国の高校中退者を受け入れ、立て直しを図ってきた立花高校でしたが、どのような変遷を経て現在に至るのか?立花高校が行ってきた対策方法をご紹介していきます。
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目次
- 不登校対策への取り組み
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不登校対策への取り組み
1970年代後半から、全国の高校中退者を受け入れ、立て直しを図ってきた立花高校でしたが、転換期として大きく変化した主軸となったのは、90年代初め、不登校生の受け入れを始めてから。1996(平成8)年に、不登校生徒指導委員会(以下、不登校委員会)が発足。本格的な支援対策が始まりました。今のように、フリースクールやサポート校がほとんどない時代。その年の立花高校の在校生154名のうちの81名、つまり、生徒の約半数が不登校の経験者でした。不登校生徒の自立支援に早くから目を向け、旗振り役だった故・西村仁一先生を座長として、現場のまとめ役であった稲毛孝一先生ら若い先生が中心となって、「不登校生徒指導委員会」が設置され、積極的な不登校対策が始まっていきました。スタートは「学校外教室」というもの。公民館などの施設を利用して、登校できない生徒のために、家庭と学校の中間に「居場所」をつくり、特別教室を開きました。学習したり、遊んだり、まずは人間関係をつくって、徐々に学校への橋渡しにしようという目的です。出欠状況や学習の進み具合を報告し、次の対策を考えていくという個別指導のスタイルです。同じ頃、東区和白地区を中心とした母親グループによる「登校拒否・不登校を考える親の会」が発足し、不登校生の親が参加できる地域の勉強会「親の会」が立ち上がりましたが、「学校外教室」ができたことで、拠点は「学校外教室」へ。親子が揃って学べる場として引き継がれていきました。手探りから始まった活動は、理事会も保護者会も全面支援を約束し、順調に進んでいきましたが、「変化には痛みを伴うもの」と当時を振り返る稲毛先生の言う通り、教職員の一部には不登校委員会ばかりが評価され、快く思わない先生が出てきたり、一筋縄ではいかないこともあったそうです。また、過去には、合格した生徒が「不登校の学校とは知らなかった」と辞退したこともありました。それでも、メンバー6人の先生たちの情熱によって、行き場のない子どもたちのサポート活動は多様な取り組みを導入することで広がっていき、少しずつ理解を深めながら進行していきました。やがて、退学や転出を減らすために、2003年(平成15年度)から、立花高校の教育スタイルは全日制の単位制高校へと舵を切っていきます。生徒主体、子どもたちの側に立った教育改革を目指す中で、試行錯誤を繰り返し、小さな成功体験を積み重ねていくことで、不登校対策は立花高校の個性、看板になっていったのです。たった1日の欠席日数の違いで、「不登校」という境界線が引かれてしまう今の社会。
こうした大人の考え方が、子どもの価値や教育を否定しているのではないかと、齋藤校長は警鐘を鳴らします。
「いいんだよ」は魔法の言葉】「不登校」とはなにか?
『学級崩壊立て直し請負人』著者教育実践研究家菊池省三氏推薦!立花高校は、閉塞感漂う日本の教育に光を照らす学校です。読み終わった後、「一人の子を粗末にする時、教育はその光を失う」という言葉とともに、全ての子どもたちのことを、愛おしくて愛おしくてたまらない気持ちになるでしょう。本来あるべき教育の姿に気づかされます。