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常識を別の言葉に言い換えるなら……
つまり常識とは、あるときは(ある意味雑学的な、共通の)「知識」であり、あるときは「マナー」であり、「エチケット」であり、「モラル」でもある。それらをしっかりわきまえていてこそ、他者との豊かで円満なおつきあいができるというもの。それらを無視して、自分ばかりが満足していればそれでいいというジコチューな考え方をしていては、うまくいくはずのおつきあいも誤解を招いたり、ケンカになったりしてしまう。ナルホド、こう考えると、常識とは「コミュニケーションの道具」でもあるわけだ。だから、会社で無礼講といわれてもあくまで常識の範囲内で、また、敬語を使うときも常識を欠けばかえって失礼になる、といったことを知っておかねばならない。ぜひ本書で、あなたの常識のレベルアップをはかって欲しい。 -
「常識」をどこかに置き忘れた現代人
常識の欠如が言われる現代人現代は、「常識」の欠如・喪失が著しく、対人コミュニケーション(親子間・世代間など)が、通じづらくなっているという。死語となってしまったが、昔よく、『親子の断絶』などという言葉が使われた。対話ができないというのでは、話にならない、って当たり前か!もちろん「常識」だって、社会の変化によって人々の考え方が変わってしまえば、それにともない少しずつ変わっていくものもあるだろう。極端な例をあげれば、半世紀以上前の、しかも戦時中の常識が、今に通用するはずもない。だがやはり、もっと基本的なところで、人と人はお互いに相手のことを考え尊重しつつ、会話をしたり行動したりすべきだろう。前述のマナーやモラルといった言葉も、基本は「他者を思いやる心」だ。身勝手な行動や思いやりのない会話では、いたずらに相手を怒らせたり悲しませたりしてしまうだけである。良識や道徳心、家庭のしつけといったものの欠如が、社会性を欠いた行動・犯罪が増える一方の現代社会に、密接な関わりを持っているように思われる。「タバコのポイ捨て禁止!」、「空き缶はゴミ箱に!」などという張り紙を随所に見かけるが、これはよく考えれば(よく考えなくても?)当然のこと。それができない人が多いから、こんな張り紙をしなければならなくなってしまうのだ。そういった「非常識」が、まかり通っていては、決して豊かな社会にはならないだろう。「常識」を現代人はいったいどこに置き忘れてしまったのだろうか。少々余談になるが、それでは外国の場合はどうだろうか。もちろん外国にだって「常識」はある。ただ、常識は伝統とか長い間の生活習慣から生まれたものなので、日本の常識が外国へ行くと「それは非常識!」となってしまう場合もある。世界各国を見渡せば、そのお国なりの常識があるということだ。例えばシンガポールでは、「公共の場でつばを吐いたり、ゴミを捨てたものは罰金刑!」。ガムを噛んでいるだけでも法律違反になる。ほとんどの公共施設が禁煙なのは言わずもがな。また、日本では茶わんを持たずにごはんを食べることは行儀が悪いとされるが、お隣の韓国は逆だ。茶わんはテーブルに置いたまま食べる。また、箸とスプーンが並ぶが、ごはんはスプーンですくってたべるのが、正しい。──ざっとこんな具合だ。海外旅行も一般化、海外からの訪問者も増えている。国際化社会に生きていくには、そういった異文化の常識も知識として知っておくべきだろう。ぜひ、もう一度、「常識」というものを考え直して、それが社会の共通認識ということを考えてみて欲しい。それが自分のものになれば、世の中を渡っていくうえでの強い味方になるはずだから。
あなたの常識力を10倍にする本
全てより
知らないと赤っ恥!あなたの常識力は大丈夫?現代人に必須の常識の教科書!分かっているようで分かっていない常識。どんな人でも見る見るうちに常識力が 身につく。今時のワンランク上の常識力を身につけたい方に!