目次
- ○他人のライフスタイルを非難する「女」
- ○分析 ライフスタイルの違いをどう乗り越えるか
- ○STEP1 巻き込まれない
- ○STEP2 自分を守る
- ○STEP3 「女」を癒す
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他人のライフスタイルを非難する「女」
Cさんのケース専業主婦の友達から働いていることを非難されます。第一子を出産後半年で仕事に復帰しました。同時期に子どもを生んだ友人は専業主婦。出産時期が近かったこともあって、妊娠中や産休中はけっこう連絡をとっていて心強くも感じていましたし、前以上にぐっと仲良くなりました。でも私が仕事に復帰すると、「子どもがかわいそう」とか「3歳まではそばにいたほうがいい」とか言われることがあります。カドが立たないように「うちは両方働かないと金銭的に厳しいから」と答えているのですが、そうするとまるでこちらが嫉妬したりひがんだりしているような受け取られ方をします。金銭的なことだけでなく私は自分のためにも働いていた方がよいと考えているのですが、そう話すと逆に専業主婦である彼女を非難しているようにも聞こえてしまうかもしれないし……。それさえなければ、よい友達なんですが。 -
分析 ライフスタイルの違いをどう乗り越えるか
ライフスタイルの違いによる悩みは、不思議なほど女性特有と言えるものです。例えば、職場に子育て中の女性と独身女性がいる場合、子どものために早く帰る女性に対して独身女性は「独身の自分が残業をすべて押しつけられる」と感じがちですし、逆に子育て中の女性は気楽に飲みに行ったりする独身女性を見て「独身の人には自分の苦労はわからない」と感じがちです。「同じ女性同士だから味方してくれるはず」などという思いを持って育休から復帰した女性などは、往々にして、男性よりも女性の方が厳しいことに愕然としたりするものです。実はこのライフスタイルの違いは女性特有のものではありません。男性にも、やはり子育て中の人と独身の人がいます。しかし、この両者がお互いを非難がましい目で見る、という話はあまり聞きません。もちろん最大の理由は、まだまだ子育ての多くを女性が担っているという現実にあるのでしょう。子育て中の男性が、子育て中の女性と同じだけ、仕事と育児の両立に苦労しているか、というと、やはり差があると思います。小さな子どもがいる女性が飲みに行くことはとても難しいけれども、男性の場合は「つき合いだから仕方がない」と、そのハードルは低くなることが多いものです。そのような背景は確かに存在しているのですが、このCさんのケースの場合、自分が働くことが専業主婦の友人の育児を難しくするわけではありませんから、そこには単なる「相手のライフスタイルによって自分が現実的に割を食う」という問題ではない、より精神的な要因があることがわかります。なぜ、女性は自分とは異なるライフスタイルを選んだ女性に対してよい感情を持てないことが多いのでしょうか。それは、どのライフスタイルを選んでも、「大きく失う」ものがあるからだと言えます。例えば会社員の男性が子どもを持っても、一般に、「会社員」というアイデンティティや、将来のキャリアの見通しまで失うわけではありません。しかし、女性の場合、本当は、社会でも活躍したいし、子どもも育てたいと思っても、その全部を手に入れることは、今の社会の仕組みや人々の意識から言ってもかなり難しいのです。また、「母親なのだから子どもの近くにいてあげたい」という気持ちもありますし、「子どもが小さいうちは母親が自分の手で育てるべき」という価値観もあるでしょう。ですから、何かを諦めざるを得ないということになり、「自分にはないものを持っている人」への嫉妬を感じることになるのです。その嫉妬は、例によって「正論」として語られていることの中に見つけることができます。「子どもがかわいそう」「3歳まではそばにいたほうがよい」などという言葉からわかるのは、「自分は子どもがかわいそうだと思ったから、本当は仕事を続けたかったけれどもやめた」「本当は四六時中子どもと一緒にいるのは閉塞感があってストレスだけれど、3歳まではそばにいたほうがよいと聞いたから我慢している」ということなのです。そんなふうに正直に言ってもらえれば、「子どものためを思って偉いよね。私にはとてもできない」と賞賛したり、「確かに子どもとずっと一緒にいるのは大変だよね。でもよく頑張っている」などとねぎらったりすることもできるでしょう。でも、「子どもがかわいそう」「3歳まではそばにいたほうがいい」などと言われてしまうと、ただこちらが悪いと決めつけられているだけ、ということになってしまい、お互いの立場を慮ることもできません。そもそも、女性の人生はとても多様なものだとは言いながら、ゼロベースで何かを決めている人はほとんどいないでしょう。「3歳までは母親がそばにいたほうがよい」などという「俗説」(ちなみに、保育園にも預けずにそばにいるほうがよい、という「三歳児神話」は学術的には根拠のないものとして否定されています)や、周囲からのプレッシャーのために、生き方を余儀なくされている人も多いのです。あるいは、自分が小さい頃母親が働いていて寂しかったから、自分は絶対に専業主婦になると決めていた、という人もいます。確かにその人は寂しかったのだと思います。しかしそれは、実際のところ、働いていたという事実によるよりも、子どもと向き合う親の姿勢の問題であることが大部分なのです。「どうせ自分は働いていて十分に子どもにかまってあげられないから」という罪悪感や、仕事と育児の両立の困難からくる切迫感のために、子どもに背を向けるような態度をとってしまう大人が多いのです。それで子どもに寂しい思いをさせる、というのが多くのケースにおける本質です。短時間であっても、「子どものためだけの時間」をもうけることで、母親が働いていることの問題は解決できることが多いものです。ですから、本当は、まず、自分にとって最も心地よい子どもとの関わり方を考えて、それに合わせてライフスタイルを選べばよいのです。いつも子どもと一緒にいなければうまく関われない、自分は複数の課題を同時にこなすことは苦手、子どもと一緒にいてやってあげたいことがたくさんある、と思う人は専業主婦の道を選べばよいですし、仕事をしていた方が子どもとうまく関われそう、いつも子どもと一緒にいたらストレスから虐待してしまいそうだという人は仕事を持てばよいでしょう。人それぞれのあり方があってよいのです。「自分にとって最も心地よい子どもとの関わり方」には、経済的事情も含まれるでしょう。「今月のやりくりはどうしようか……」などと思いながら子どもと一緒にいても、決して居心地がよいとは言えないと思います。ですから、そんなことも総合的に判断して、自分のライフスタイルを決めればよいのです。それはときに「余儀なくされる」というものかもしれませんが、「与えられた条件の中で、最もよく子どもを育てていこうと思ったら、こんなところだな」と考えれば、「決める」ということになるでしょう。どのライフスタイルが「正解」ということはありません。ある人にとっては専業主婦が「正解」に見えるかもしれないし、そうでない人もいるでしょう。しかし、それはその時点で考える「正解」であって、永続的なものでもないのです。専業主婦を選んだ場合、結婚生活がずっと順風満帆でいけばよいでしょうが、離婚やDV、夫の浮気ということになると人生の計画がすっかり狂ってしまいます。つまり、「夫がどういう夫であり続けるか」にすべてが委ねられてしまうとも言えるのです。では、仕事を続けることを選べば万事オーケーかと言うと、そこもまた仕事と家庭の両立という茨の道。どちらも十分にできないという不全感を抱えながら、綱渡りのような日々を必死で生き延びる自分に比べて、優雅に日常を楽しむ専業主婦が羨ましく思えることもあるはずです。そんなふうに、「羨ましく見える」ものに対しては、「正論」を盾にとってちょっと意地悪なことを言う、という「女」の現象が起こってきます。本当はそれぞれが、相手に比べれば「多く持っているもの」があるのですが、「相手が持っているのに自分が持っていないもの」に目がいってしまうのです。まさに、癒やされていない心がなせる業だと言えるでしょう。 -
STEP1 巻き込まれない
相手の話を「正論」として受けとめてしまうと、自分のライフスタイルを否定することになってしまいますし、自分が間違ったことをしているような気にもなります。「子どもがかわいそう」などという罪悪感にとらわれてしまうと、結果として子どもとの時間の質さえ下がってしまう、ということになりかねません。しかし、どのように子どもを育てるかというのは、それぞれの「領域」の中の話。どんなライフスタイルが合うかは人それぞれ。自分の性格にも、パートナーのタイプにもよります。実家の援助の質と量にもよるでしょう。ですから、どのライフスタイルが「正しい」ということはないのです。人によっては、ある程度社会に居場所がないと、蓄積したストレスが子どもへの虐待として向かうことすらあります。日中は保育園で温かい保育を受け、朝晩は親と密な関わりをする子どもと、一日中親と一緒にいるけれども虐待(育児放棄を含む)を受ける子どもとを比較して、親が働くことが「かわいそう」「そばにいた方がよいのに」と評価を下すこともできないでしょう。どのライフスタイルが合っているかは、本当にケースバイケースなのです。それが誰の領域の話なのかの区別がつかなくなってしまうのも「女」の特徴。ですから、この現象に巻き込まれないためには、相手が言っている「かわいそう」「そばにいた方がよいのに」ということが、「相手がこちらの領域について勝手に下している評価」に過ぎない、ということをよく認識しておくことです。つまり、自分とは直接関係のない、単なる「『女』のパターン」の話なのです。これは「お母さん病」の一種とも言えるでしょう。「あなたのことを一番よくわかっているのは私」という姿勢だからです。相手がこちらの事情も理解しようとせずに勝手に評価を下しているときは、その中身について議論する必要もなく、単に「それはあなたが下した評価なのよね」ということを明確にすれば、領域侵害を防げます。つまり、「子どもがかわいそう」と言われたら、「そうか、あなたはそう考えるのね。いろいろな考え方があるよね」と言えばよいだけでしょう。実際に子どもがかわいそうかどうかを話し合う必要はありません。また、なぜ相手が領域を乗り越えてこのような評価を下してくるのかと言えば、自分自身いろいろな焦りや逡巡がある中で、「決めつけ」によってその不安のバランスをとろうとしているからと考えることができます。「私が選んだ生き方、これでいいよね」「あなたの方が間違っているんだよね」という確認作業なのです。決めつけが強い人ほど、不安が強いと言ってもよいでしょう。そんな人に対しては、安心を提供するために、「そう思って頑張っているんだね。本当にいいお母さんだよね」などと言ってあげればよいと思います。 -
STEP2 自分を守る
仕事と育児を両立させているBさんに対して相手が羨望や嫉妬を持っている場合、必要以上に嫌な思いをすることもありますので、自分を守ることも考えておきましょう。それは、基本的に相手の生き方を尊重し、対立しないことです。ステップ1で「自分の領域」を守ったのと同じように、「相手の領域」を尊重してあげましょう。「私だったら一日中子どもと一緒にいるなんて、できないだろうな。本当にいいお母さんだよね」と心からほめてあげて、相手に反感を持たれないようにしましょう。反感を買ってしまうと、妙なトラブルの火種を作ってしまうことになりかねません。なお、「うちは両方働かないと金銭的に厳しいから」という言い方では、相手は「妬まれている」「恵まれている自分を責められている」と感じがちですが、「本当にいいお母さんだよね」と心からほめてあげるということは、相手という存在を尊重してあげていること。「女」の癒やしにつながる姿勢です。 -
STEP3 「女」を癒やす
どんなライフスタイルを選ぼうと(あるいは余儀なくされようと)、子どもを持ち育てている、という点では同じ立場。子どもたちのために地球環境を心配し、できるだけよい未来を作ってあげたいと思う気持ちも共有できるはずです。話題を、「専業主婦とワーキングマザーのどちらがよいか」という小さなところに絞らず、もっと大きなこと、例えば、子どもたちから学べること、子どもたちの今後のために心配なことなど、より一般的な話にしていけば、共感しやすくなるでしょう。女性の人間関係は、「各論」よりも「総論」。ライフスタイルが多様な女性が「各論」を論じている限り、どうしても「違い」にばかり目が向いてしまい、「味方か敵か」ということになってしまいますが、「総論」であれば共感することも団結することもできるはずです。つまり、本当のつながりができるのです。そうやって、小さな世界から、大きな世界に一歩踏み出しましょう。「選ばれる性」、つまり受動的な存在でいる限り「女」にとどまってしまうのですが、「子どもたちのために何ができるか」という能動的な姿勢に転ずれば、「女」が癒やされ、パワフルな存在になっていくことができます。まさに「母は強し」なのです。
女子の人間関係
CHAPER2 比べたがる「女」との関わり方より
グループ、派閥、噂話、嫉妬など女性特有の人間関係の悩みを持つ方に対人関係療法の専門医水島広子氏がその原因を解析&ステップを踏んで丁寧に解決方法を教えます。女性だけでなく、女性の部下、上司、恋人、妻を持つ男性も役に立つ内容です。